先日一気読みした本があります。
私の子供よりも若い中学生が書いた本です。
私が出しているkindle本
当時の息子と向かい合ったような気持ちになった
その本は現在は高校に進学しているきいらすさんが中学3年生の時に書いた本。
「不登校は武器である」
実に率直で意思のはっきりとした文章に思わずマーカーを沢山ひいてしまいました。大人にも響く言葉が沢山ちりばめられています。
実は我が息子も中学3年の大事な時に不登校になりました。
その後高校に進学し今は大学に通っていますが、当時は親子ともども大変な時間を過ごしました。
お先真っ暗だと思っていたし、自分の子育ては失敗だったと感じていました。
ただ問題なく息子が学校に行くことを望んでいた私は子供の気持ちや考えを尊重することはなく自分の狭い価値観を押し付け、世間体ばかり気にしていたのだと反省するばかりです。
それが子供のためだと信じて疑わなかったのですから本当にひどいものです。
今なら分かるのです。
「子供は信じて見守る」ただそれだけでよかったのだと。
きいらすさんのこの本を読んで、息子が当時こんな風に思っていたとは限らないけれど、違和感を感じた学校教育や旧態依然とした親の考えに疑問を持っていたのではと思いました。
まっすぐな言葉に背中を押された
50年も生きてきた私が中学生の言葉にはっとするとは本当にびっくりです。
言葉の使い方、文章の流れ、どれをとっても及びません!
沢山マーカーを引いた言葉から少し紹介させてください。
1日のルーティンの中に「文章を書く時間」を必ず設けています。書いて書いて書いて、書き続けるんです。
「不登校は武器である」より
この文章を読んで、ルーティンに入れようと早速実践しています。
ちょっと上手いだけでも、僕はそれを「個性」だと考えています。
中略
個性を伸ばせば才能にかわり、やがて社会で生きる際の「強力な武器」になっているはずです。
「不登校は武器である」より
文章がうまくなるには書いて書いて書きまくる。
私にとって文章を書くことはちょっと得意なことというよりは、ちょっと好きなことなのですが、これを伸ばすことで才能になるかもしれない!と教えていただきました。
こちらにも納得
学校の成績で例えると、むしろ1を2にするより、4を5にする方が圧倒的に出しやすいです。
「不登校は武器である」より
苦手を克服するのに時間をさかずに、出来ること得意なことをもっと伸ばそうと。まさにその通り。
学校で体育が不得意だった私はいい思い出はひとつもなく、劣等感だけ植え付けられました。
今思えば足が速くなくても、選手に選ばれなくても全然いいのにと分かるのですが。
得意なことを伸ばす教育、理想的だと思います。
それに気が付いているきいらすさんはこの先も得意なことに集中することでとんでもない才能を身に着けるのではと期待が膨らみました。本当にすごい若者です。
さらにもうひとつ!
猛スピードで常識がかわっている現代では、猛スピードで行動するしか、生きる道はありません。とにかく量をこなすんです。
「不登校は武器である」より
私はこれを読んで「ぼやぼやしていられない!」と若干焦りつつ(笑)やる気を注入してもらいました。
若い人はともかくとして50代はもう人生の折り返し地点を折り返しています。
時間が限られているのです。
本を出すなんておこがましいけれど、、、
私のド素人の本なんて誰が読むのかな、、、
なんて思っていた自分が恥ずかしい!
久しぶりにストレートで熱い本に出会いました。
世の中の不登校の方、親御さん、学校に行っている人も社会人の方にも読んでいただきたい本です。
読書でやる気をもらおう!
読書は心に火をつけます。
私は毎日の読書でいつも新鮮な言葉のシャワーを浴びています。
きいらすさんの本も私の本も読み放題で読めます。